前例のないことに立ち向かう醍醐味
皆さま、お疲れさまです。
告知や活動報告だけではブログネタが切れてしまい困りますので、たまには呟きも書きます。
今日のテーマは「前例のないことに立ち向かうことの醍醐味」です。
前例というのは、ご存知の通り、先祖代々、あるいは、先輩たちが作り上げてきた歴史そのものですよね。
私が「前例のないこと」を大きく意識することとなったきっかけは、高校入試でした。
私には聴覚障害があり、生まれつき聞こえにくい障害を持っています。
中学までは、口話のろう学校で育ち、手話とは無縁の世界にいましたし、外の世界もあまり知りませんでした。
だからこそ、外の世界も体験したい、そして、高校卒業後は大学に進学したいという気持ちから、ろう学校卒業後は、普通高校に進学する道を選びました。
しかし、複数の高校を見学する中で1番言われた言葉は、「前例がありませんので、受け入れません」「受け入れはしますが、特別な配慮はしません」でした。
そこで皆さんの頭に浮かぶのは、「障害者差別解消法があるのでは?」かもしれません。
しかし、奇しくも、この法律ができたのは私が高校2年の時でした。それまでは、このような対応が一般的だったのではないかなとも思います。
何故、前例のないことはダメなのでしょうか?
「トラブルが発生すると、学校は責任を負えません」。
でも、よく考えてみてください。
世の中のあらゆることは、すべて前例のないところから始まっているとは思いませんか?
エジソンやヘレンケラー、野口英世達も前例のないスタートラインから努力し、世の中に名前を残したのです。
結局、たくさん断られ、たくさん失敗した高校入試が原動力となり、なんとか合格した都立高校に入学しました。
この都立高校でも「聴覚障害のある生徒を入れるのは初めて」でした。
楽しい高校3年間だったかと聞かれれば、イエスとは言えません。
勉強面ではなんとか放課後も自習学習し、ついていけましたが、人間関係面や聴覚障害のアイデンティティ面では苦しんだ日々でした。
それでも家族の支えもあり、卒業も出来、大学入試を迎えました。
自由な校風と先生方の柔軟さが私に合っていたのかもしれません。
大学入試の頃になると、障害者差別解消法も普及し、情報保障のある環境も次第に増えてきました。
そんな時代の波に乗って、おかげさまで情報保障面では他の大学とは比べて進んでいる大学に入学出来、その後も順風満帆ではありませんが、人並みには楽しいキャンパスライフを送れているかなと思います。
「前例がないので受け入れません」と言われることも最近ではなくなりました。
そこで改めて、大学入試が終わった時に「前例に人間はなんでそこまでこだわるんだろう?」って考えました。
高校入試も大学入試も一般入試にチャレンジした自分だからこそこれからは「前例がないなら作れば良い」というのを座右の銘に出来るのではないかなと。
しかしながら、昨年までは人並みの学生であり、カメラサークルの広報担当はやりましたが、自己PRできるような活動を何一つやっておらず、もやもやしておりました。
今年に入ってやっと本気になれるものに出会い、現在それに取り組んでおります。
もちろんそれも「前例のない取り組み」であります。
あの感動をもう一度味わいたい、その一心で当日まで走り抜けていきたいです。
前例がなければつくるもの!
皆さまも前例がないから、と壁を作らず一緒に乗り越えていきませんか??
それでは、おやすみなさい💤