石川さと

コーヒーと写真を愛する手話者。deaf当事者。福祉やろう教育を学んでいる。告知メインで用います。

15年前のエスコートキッズ体験談”アルパイ選手の優しさ”

サッカーがお好きな方なら試合前に小さな子どもとともに入場する光景を見たことがあるでしょう。

 

そう、エスコートキッズです。

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実は、はるか昔のことになるのですが、私自身もエスコートキッズを体験したことがあるのです。

 

1度目は、アルパイ選手。2度目が長谷部誠選手です。

 

あ、もちろん有名になる前の長谷部誠選手です。

 

彼は、日本代表のエースとして活躍し、自伝本も出している...もはや誰でも知っているでしょうから今回は、アルパイ選手のエピソードを紹介しましょう。

浦和レッズエスコートキッズ「フェアプレーキッズ」とは

まず、私が参加したのは、埼玉スタジアムで行われた浦和レッドダイヤモンドVSアルビレックス新潟の試合。

 

15年前のことなので、記憶も薄れつつあるが、当時の写真と会報誌を見つけたのでこの機会にまとめておこうと思います。

 

ということで、「フェアプレーキッズ」というのは、浦和レッズが2002年から行っているエスコートキッズのことです。

 

流れとしては、浦和レッズのスタッフさんが来て、ユニホームを着替える場所に案内され、着替えたらスタジアムの入場口に集合。

 

そして、レッズの選手と対面し、手をつないで入場し、その後相手チームへ一輪のお花を渡しに行くという流れでした。

 

2005年5月21日、まだ小学1年生で、運動会を間近に控えていた頃でした。

 

当時の浦和レッズチーム構成を見ると、長谷部誠選手、田中マルクス闘莉王選手らの名前が並んでいます。

 

浦和レッズの会報誌に当時のエピソードが書かれていたので、それを交えながらお伝えしますね。

アパレル選手のほっこりするエピソード紹介

まずは、会報誌のコラムを引用しますね。

 

5月21日、ナビスコカップの新潟戦。埼スタの「トルシエ階段」を昇って選手たちが姿を現す。いつものように左側には黄色いTシャツの子どもたち。ところが10人目に顔を見せたアルパイは左側ではなく両腕の中に女の子を抱えていた。ピッチに入ると彼女をおろし、整列している間、肩にずっと手をおいていた。 

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ということで、なんと私はお姫様抱っこされて入場されたのでした!!

 

なんでお姫様抱っこなのだ?と聞かれれもなんせ15年前のはるか遠くの記憶...

 

覚えておりません!!(笑)

 

ただ、エスコートキッズから戻ると両親が「さとちゃん、アルパイに抱っこされたの?」と大興奮していたのを覚えていますw

 

多分、人見知りだったので、大きな選手と知らない人たちという雰囲気に怖くなったのでしょう。

 

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さて、コラムの続きです。

 

どうしたの?アルパイに聞いてみた。

「みんなが歩きだしても彼女は動かなかったんだ。もしかすると足が痛いとか、何か問題を抱えていたかもしれない。あそこの階段は子どもには高いからね。それで抱っこしていったのさ」

女の子は怖がらなかったのかい?

「うーん、もしかしてびっくりしたかもしれないけど、怖そうではなかったよ」

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抱っこされている私は笑っているので、怖くはなかったみたいですねw

 

そして、会報誌の記者さんが、私のことを探してくれて、父がメール取材されたようです。

 

 そのメールもまた興味深いので、ご紹介。

さとは、耳の聴こえがわるいですが、それ以外は普通の小学1年生ですし、レッズ選手も詳しく知らなかったのに、マッチデープログラム等の写真を指差して「この選手(に抱っこされた)」と喜び、サッカーにも興味湧いております。運動音痴ではありますが、こういった機会もあってか、28日の運動会では、2kmのロードレースの、親子ともども、引張ながらですが、完走いたしました。

そんなこともありましたね~

 

補足すると、私には生まれつき聴覚障害があり、中学まで私立のろう学校で育ちました。親とのコミュニケーションは、手話ではなく補聴器を使って声に出してといった口話法で話しています。

 

そのろう学校の運動会が毎年5月にあったのですが、ロードレースが目玉プログラムのひとつでした。

 

母校出身の方なら懐かしくなるでしょう。。。私の学校は、町田市の野津田の丘にありまして、上下のアップダウンが激しいところがいくつもありました。

 

まして、私は、超がつくほどの運動音痴でしたので、あまり楽しみではなかったのですが、最初のロードレースは、親とともに走りきりましたね!

 

さてさて、コラムの続きです。

 

もし、さとちゃんにあたったのが、アルパイではなかったらどうだっただろう?達也や平川では抱っこするのは難しい?優しく「ほら、行くよ」と声をかけるだろうが、わからなかったかもしれない。(中略)僕はアルパイの一連の行為に「世界標準の優しさ」を感じた。

世界標準という言葉が出てきました。。。

 

そこで思い出したのが、浦和レッズエスコートキッズは「フェアプレーキッズ」であること。

 

アルパイのなかにはきっと国境をこえ、サッカーというプレーを通して闘うんだという強い意志があったのでしょう。

 

彼は、現在どうしているのでしょうか?

 

そもそもアルパイ選手ってどんな人でしょうか?

 

アルパイ選手とは

アルパイ・オザラン選手は、トルコ出身の選手でサッカー指導者です。

 

トルコ、イングランド、韓国のチームを移籍したのち、日本の浦和レッズにやってきます。

 

その後、2004年に浦和レッズと契約し、活躍してきました。しかしながら、度々のイエローカードから問題行動を起こすようになり、ドイツに移ります。

 

現在は、ふるさとのトルコに戻り、監督や指導者として活動しています。

 

以上、15年前のエピソード紹介でした。

 

最後までお読み頂き、ありがとうございました。

 

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